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仏像部茨城遠征 | 森の中でひっそりと佇む阿弥陀如来

阿弥陀

水戸での講演会の前日に茨城入りした仏像部一行。
前日には4寺で貴重な仏像を拝観させていただき
すでにお腹いっぱい大満足な1日目を過ごした。

そして、夜が明け講演会当日でも仏像部はまだまだ攻めます。
14時の講演開始直前まで仏像に会いにいっちゃいます!
ぎりぎりまで攻める、それが仏像部スタイル…!

朝8時すぎに宿を出発してはじめの目的地へ向かう。
到着したのは高台にあり窯が多いとある地区。

管理されている方と待ち合わせしているのだが、
目印がなくなかなか見つからない…。

畑の横で止まり地図を確認していたところ、
すぐ後ろで止まっていた方が案内してくれている方と判明。
挨拶をすませ、向かっていったのはなんと畑の中…。

管理の方は、ずんずん山の斜面の道を登っていく。
それに続く仏像部。畦道の土がふかふかでふとんの上を歩いているよう。
栄養たっぷりの“ええ土”である。

この先に本当にお堂があるのか?

という疑問をうっすら頭に浮かべつつ
畑を抜け、倒木を越え、森に入る。

熊笹やひざ下くらいある草を踏みしめ、
歩いた先に
お堂が見えてきた。

切り開かれた木々の中に浮かぶお堂は、まさに昔話にでてきそうな雰囲気。

はたして、どんな仏様がいらっしゃるのだろう…。
ドキドキ、心拍数も上昇。

管理の方が鍵を開けるのに苦労されている。
なかなかあける機会もないのだろう。

ようやく扉が開き仏様とご対面。

厨子の中にいらっしゃったのは素朴でやさしいお顔の阿弥陀如来。
お顔は眉がはっきり書かれていて、螺髪のつぶつぶもしっかりしていて個性的。
それとは対照的に体躯は丸みがあり掘りが浅めである。

お堂の前の立て札によると

【建立】 平安時代末期
【像形】 像高92cm、肩張45cm、膝張67cm
本像は、一木造りで、螺(ら)髪(ほつ)・白毫(びゃくごう)を彫り出し、彫眼である。上品下生(じょうぼんげしょう)の印を結び、左足を上に半跏趺坐(はんかふざ)の像容である。やさしい表情の面相、そしておだやかな彫り方は、平安時代末期の特徴をうかがわせる。この像は上加賀田地区谷津沢にあった旧真南獄山華蔵院西光寺の本尊といわれる。もとは新治郡山尾庄部原村(石岡市)にあったものを、古くに同寺へ移したといわれる。この像は「瘡(かさ)阿弥陀(あみだ)」と呼ばれ、地元民は皮膚病に効果があるとして昔から信仰してきたといわれる。

(螺髪、白毫は掘り出し!訪れた時には気づかなかったけど掘り出しだからあんなに存在感があったのか…!)

管理者の方(推定70歳くらい)が小学生の頃(約60年前)は、
お祭りがあり屋台なども立ち並びそれは賑わっていたというという。

今となっては、お堂の存在すら知らない人もいたりと語り少し寂しそうな表情で遠くを見つめていた。

拝観を終え、車に戻ると皆の足にはひっつき虫がびっしり…。
仏像部みんなが屈んでそれを取る姿は、
他の人から見たらさぞかし謎な光景であったには違いない。

講演会までにあと1寺巡らなければいけない。
足早に我々は次の目的地へと向かった。

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